こそだて おでかけ

子育て中のお出かけや日々の雑記です

文章って、何?

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あるところに

女の子がいて、

毎日学校がとてもつまらなかった。

なんで生きていかなくてはいけないのか、

なんで辛いことしか起きないのか、

何もしたくなかった。

 

音楽を聴いたり、本を読んでいるときだけが、自分の気持ちを理解してもらえている感じがした。

 

その子には、まわりの同級生は、容姿も良く、機転がきく、たちまわりのうまい人達が楽しそうにしていたり、

逆にとても正直で素直に生きている人に、まわりの人が集まったりしているように見えた。

 

上手く立ちまわれず、正直に発言する自信もなく、いつも自分のダメなところを直したいと考えていた女の子は、どんよりした日々を送っていた。

 

でも本のなかには、まるで自分が書いてるように同じことを考えている人がいたり、自分より深刻に悩んでいる人がいて安心した。

 

帰るとずっと本や漫画を読んだ。

 

本や漫画を読むと、30歳年上の人の生活を体験できたり、インドでたいまをすったり、未来へタイムスリップできたり、とある中学の卓球部で毎日ふざけていることができた。

 

自分でもお話を書いてみた時は、

何でも自由に作り出せることに鳥肌がたった。

 

そのまま深夜2時、自転車で近所を全速力で立ちこぎで走り、並木道の木々がビュンビユン通りすぎ、この世は自分のものではないかと思ったほどの高揚感がした。

 

お話を作るような仕事につきたいとおもった。

 

ただいくら想像の世界を潤しても、いっこうに学校生活、その後の社会人生活での立ち回りは変わらなかった。

 

人間の集団の中でどう行動して、何を話せば良いかがわからない。

 

無理をしても、無理をしなくても、人は離れていった。

読む文章は変わり、

本棚は自己啓発本ばかりになった。

どうすれば良いのか、わからない。

たくさん文章を読んできたはずなのに、自己啓発セミナー講師の巧妙に書かれた文章でお金を巻き上げられた。

 

当たり障りのないことを言ったりやったり、生きるための必要最低限以上はしなくなった。

 

一人でいたかった。

本は読まなくなり、ぼーーっとテレビを見ることが多くなっていた。

 

 

何もしたくない自分も疎ましかった。

 

 

 

 

 

たまたま読んだ星占いにこう書かれていた。

 

 

 

『星占いの文章を読んだときに、

受け手が自分の何らかの思いと引き合わせて

新しい解釈が生まれ、

それが受け手の助けになる時に、

それこそが言葉の、文章の意味があるのではないか、

たとえ書き手の意図と違ったとしても。』

 

 

それを読んだ時に、

たくさんの文章が今までを支えてくれていたことに気づいた。

 

 

 

人と上手く話せないと思っていたけど、充分人とコミュニケーションはとっていたんだ。

 

 

と。

 

 

対面で話すように言葉のやり取りが素早く完結しなくても、一方的であっても、それは会話だったのだ。

 

 

上手く人と会話をしていたんだ、と安堵した。

 

 

しかも文章は時や媒体を越えて伝えられる素晴らしいツールなんだなあと嬉しくなり、彼女は久々に紙のほんをめくった。

 

 

紙の質感やにおい、重み。

 

 

言葉の響きから感じる物体の厚み。

 

 

日本の季節は寒い冬だけど、今は南国にいるようだ。

 

 

湿度の高い風でヤシの木の葉が揺れている。

 

 

夜遅くまで、作者と会話を楽しもうと思っているようだ。

 

 

この本の文章が、今また生命を生かしている。